何もしないまま変わらないままの自分の心を守ってあげる商売手法

何にどれだけお金を使ったかは正確に記録しておくべきだと思う。自分が普段当たり前に浪費している物が分かるからだ。

人は新しい物事に対してお金を払うことには躊躇するけれど、普段使っている浪費についてはあまり考えない。支払いの判断基準は経済的に得をするかどうかではなく心情的に何となく安心できるものに軍配が上がる。

それは言うまでもなく悪い癖だ。お金が欲しいと言いながらもお金をすり減らしていく人間の考えだ。その悪癖を払拭する為に、自分を客観的に観察して悪癖を炙り出して排除するのである。その為の記録だ。

だが、記録というものはあまり好まれない。学校のテストを受ける人が嫌いな人は勉強ができない人だ。何故なら自分の実力が知れてしまうから。そして、潜在的には自分の実力の程度というものが分かっていたりするものだから、その分野についての能力が低いと自覚している人ほど、テストをしない。この場合は記録をしない。

散財しているという無意識的な自覚はあるのだ。だが、それを明確な意識として認知して改善していくという努力をするのが嫌だから堅実な手法を取らないでいるのが実情だ。

だから、結果として人は悪癖を払拭できない。他人から強制されるか、余程の大事件が起こり変わらざるを得ない状況にならないと変わらない。

だが、変わりたいという弱い願望は常に秘めていて、何もしていない自堕落な自分という自己イメージを自分自身に植え付けたくもない。そのおかげで自己啓発書とか、雑誌の節約特集とか、眉唾ものの貯蓄法なんかが売れるのだ。実際には何の努力もせず、何の成果も出なくていいのだ。だが、頑張っているという実感と、失敗は自分以外のせい、という認識ができれば自分は頑張っているが周りが悪いから、この現状は仕方ないと納得できる。

何もしないまま変わらないまま自己否定をしない材料を販売することで儲ける人間もいるという話である。人は自分が正義である為に理屈を捻じ曲げるし、金銭も支払う。