時代遅れの趣味、珍しい趣味を続ける理由

時代遅れの行為を続ける事は大衆に喜ばれるものではない。大衆は大衆が好む物を好むからこそ大衆であるからだ。

それでも大衆から見れば摩訶不思議な観点から奇々怪々な行動を取って喜びを獲得している人はどんな時代にもいるようである。昔にもいたそうだし、今でもいる。だからそういう人間もこの世界に望まれている存在なのだろう。

レアな趣味を穿った目で見てしまう気持ちは分かるが、皆がやらないからこそ自分の世界が確保されるという事はあるのだろう。余暇の時間まで社会に溶け込んでいなければならないってのは辛い人には辛いのである。

好きでもないドラマ、好きでもない音楽、そういうものが世間が好きで、爪弾きにされると後々生活に支障が出るって事で無理やり調子を合わせて笑ったりしている人間はいるのである。そういう人間にとっては、それが救いなのだ。

社会的成功を追い求めていくのは難しいのである。若い内はそれが当然にできると考えがちで、それができない人間を見下したりもするのだが、見下した事が原因で「実現できなかった当然」に自分が苦しめられることになったりする。だから、誰かを攻撃する時は気をつけた方が良い、ちゃんと考えないと後々自分を苦しめることになるから。

苦しみには様々な原因があるけれど、現代においては社会によって発生する苦しみが多い。それから解放してくれる行為こそが、時代遅れの行為だったりレアな趣味だったりするのかもしれない。