抽象的な欲望を人は誰しも抱えているけれど、それを実現する具体的な手段を知らない。

具体的なやりたい事がなくても、抽象的に叶えたい欲望だったらみんな案外持っていたりする。

勝利に浸りたいとか、安息の心でいたいとか、熱中していたいとか。だが、その抽象的な欲望を叶える具体的な手段が思い浮かばないから、やりたいことがないという結論になるのである。

だから、やりたい事がないは間違いである。何もしたくないだって、安息の日々を過ごしたいという欲望な訳で、それを叶え続ける為には多大な金銭が必要になる。生きているって事は本当は欲しいものがある。それは死にたくないという欲望も含まれる。というか死にたくないという欲望の延長線上が安全な設計だったり、食料配給だったり、法律だったりに繋がっていたりするのだから。

その欲望を叶える具体的な手段。それが分からないし、知っていても本当が分からないし、実行するのは大変だし、見返りが絶対に保証されている訳でもない。だから、偶然成功体験を積み重ねた人や才能に満ちあふれている人しかそれが実行できないのである。挑戦しない人だって最初から挑戦しなかった訳ではないのだ。

こんな事を考えた所で、実際問題現実の何かが変わる訳ではない。だがまぁ、考えたいという欲望の果てに行われている行為なのだから仕方がないのだろう。何の解決策が提示されない議論だってある、というかそっちの方が多いだろう。人は何かをやっているつもりになりたいのだ。何も成果を出せていなくても自分の人生が満たされたと感じることができたのならばそれでいいのである。だが自分で自分を騙し続けるのは難しいから人は様々な挑戦を続けているのだ。