何の成果にも繋がらない「つまらなさ」を継続して感じているのならば、少なくともそこから抜け出すのが正しいだろう

最後には何もなくても、途中までは何かあって欲しい。というか、最後だって何もないのは嫌だ。だからせめて何もなくなるまでは何かあって欲しいのである。

死が何もなくなることなのは知っている。それは誰にでも来ることだし嫌だが流石に仕方がない。だが、生きているのに何もない人生は死よりも空虚な気がしてならない。目標であれ大義であれ生きがいであれ、意味がなくても意味や情熱を感じることができる何かがなければ生きている意味がない。

世の中金が全てと言って倫理や愛や友情をかなぐり捨てる人だって、金を持って生きることに対しては情熱を感じているのだ。

挑戦しろとか夢を追えとか言う名言は多すぎて嘘っぽく感じてしまうし、平穏な日常は間違いなく素晴らしいものである。だが、平穏な日常に生きがいを見いだせない人間はリスクとスリルを通して生きている実感を得ないと死んだようなものだ。

心が安定しやすいとか腹が据わっている人なんかは、平穏な日常では退屈すぎるのだ。折角、度胸があるという性格を持っているのに、安定志向という性格が組み合わさってしまうと、枯れた灰色の生活を送ることになってしまう。実際そんな人がいるのかは知らないが。

挑戦が良いとか夢が追うのが人生だとか、平穏な日常こそが至高とか、そういうことを断定するつもりはないけれど、つまらない生活なのであればそれは間違っているだろう。何の目標にも繋がらないつまらなさを体感しているのならば、少なくともそこから抜け出すのが正しいだろう。

長い間つまらない環境にいて、つまらない人生を送っているのに、そこに居続けて楽しいことが降ってくることを期待するのは流石にバカだろう。

マイナスを取り除き続けて平穏という0を獲得して幸福だと思っているのかもしれないけれど、0が長く続くってのは、もうそれはマイナスみたいなものなのである。