妥協点という永住地を探す旅が不幸を減らしていく

不満を抱え続けるのが人間の性である。ある物よりない物に意識が向かうのも人間の性質である。

つまりは、幸せを遠ざけ、不幸を探求するように作られている。それは人がより良く生きる為ではなくできる限り死なない為、できる事ならば繁殖する為である。そうでない人間も昔は存在したのかもしれないが、現在ではいない。そういう人間はこの世界に存在するに足る性質を持っていないからだ。

人は幸せになりたいと願うけれど、「死にたくない」という願望ほどは強くないのである。それが幸せになれない理由である。死と繁殖を完全に諦めた先に、もしかしたら死ぬまで続く幸せがあるのかもしれないが、そんな事はまず不可能である。

だから、幸せがないと嘆いて余計な不幸を獲得するよりかは、ある程度の不幸は妥協するのがベターなんじゃないかと、最近思う。

仕事がある人には仕事がある人の不幸があり、家族がいる人には家族がいる人の不幸があり、金がある人には金がある人の不幸がある。誰もが羨む容姿端麗な人間だって、実際は大変な事が多い。モテすぎてトラブルになったり妬まれたりする訳だから。

だから、どこかで妥協しなければいけない。求め続けることは苦しみ続けることである。だが、苦しみから逃れないことも苦しみ続けることである。

どこから逃れて、どこに向かって、どこに留まるのか。自分にとっての永住地はどこなのか?それが重要だ。

それを探す為に自分を変え続けるのも、住む場所を替え続けるのも、一向に構わない。だが、完全に満たされた世界はない。あるのは妥協点だけである。それは最善と言い換えてもいいかもしれない。

今現在、持たざるが故に苦しんでいるそれは、本当に獲得しなければいけないのか?獲得すれば幸せになれるのか?本当に獲得できるのか?諦める方が簡単ではないか?諦める方法はないか?

吟味の選択肢は思ったより多いはずだ。獲得したい、という要望には、獲得意外にも、誤魔化したり諦めたりする術もあるのだから。