成長、継承、消失のサイクルで生きる人達

自分自身を鍛え磨き上げるという行為は楽しい。体を鍛えるのも、脳を鍛えるのも知識を増やすのも経験を増やすのも、修行という名の下に行われる分には、中々愉快な事だったりする。

鍛錬、修行、成長というワードにはワクワクさせる要素があると感じるのは私だけだろうか。

ともかく、そういうワードを織り込んで行動するのは未だに楽しいのである。

で、ある程度先が見えてしまったり、成長の限界に到達してしまったり、体が衰え始めてしまったり。そういう上昇から下降への切り替わりを実感してしまうと、修行なんかのワード類は虚しさの匂いを漂わせ始める。

その加齢臭を己に感じ取り始めると、人は継承したいと思い始める。子供を生むにせよ、教育活動に専念にするにせよ、今の時代ならば動画として知恵を拡散するにせよ、継承という方向へと動き始める。

膨張して拡散して消失する。そういう動きの流れをする人は多い。これが最善だと言うつもりはないが。

成長して種を蒔いて枯れて土に還る植物のようなその心の働きを感じると、人もちゃんと動物であり生物なのだと思い知る。知能が高かろうが、大枠は同じなのである。