人はなぜ自己矛盾を起こすのだろうか

居場所は必要である。肉体的な居場所は勿論、精神的な居場所だって必要である。

自分が誰とも関係を結ばず、誰の役にも立たないというのは自分の存在意義を失ってしまう。自分がなんで生きているのか分からないままでいるのは辛い。

だから、仕事は辛いものであるが、仕事に救われている部分もあるのである。休暇は有り難いものだが、向こう10年が休暇で、誰にも求められない状況が続けば人は心を病むだろう。

自分で仕事を作れて、自分で関係性を作れる人間であれば苦労はしないだろうが、皆が皆そんなに有能ではないし心を開ける訳でもない。

「求められているから、仕事だから」という理由は仕方なくやっているような雰囲気があるが、その実、それこそがその人にとっての救いなのである。

だから、孤独に強い人間というのは自己研鑽をあまりしない。孤独が怖い人間は誰かと繋がる為に自分と他者との接点を増やそうとする。その為に自己研鑽をして誰かの役に立てる人間に頑張ってなるのである。

孤独が平気な人間は精神的な居場所を求めない傾向にあるのだろう。だから人付き合いが面倒で、団結の為に己を犠牲にすることが苦手である。そういう人間は人の上に立つか、人と関わらないで働いた方が幸福なのだろう。

人にもタイプがあるという話だ。だが、真逆の性質を持った精神が体内に混在するのは本当に良くない。

孤独に強いが社会的道徳を重んじる人間だと、世間体の為にやりたくもない事を頑張ってしまったりする。

社会的道徳を重んじないと生きられないのに、孤独に強いってのは本当は嘘かもしれないのに、本人がそう思ってしまうのが問題なのである。

人は死ぬのが怖い。しなければ死んでしまう行為は重んじるのが当然である。ならば社会的道徳を重んじないで社会から爪弾きにされる人間は孤独を怖がるはずなのだ。

でも現実として、生きられている。ならば社会的道徳に従わなくても生きられるという事であろう。ならば孤独に強くでも問題はないだろう。

自分でも何を言っているか分からなくなってきた。

孤独でも生きていけるが、この生き方じゃダメだと思っている自分が嫌だって話だろうか。納得できない生き方に甘んじる人間ってのは実際は納得していたりするのだろうか?

自分自身が何を考えているかが分からない。