日常が辛くて重くて忙しいのに、空想で重厚なゲームなんてやってられないよね

重いゲームを始めるのが嫌になっている気がする。
結局最後までクリアできないからだ。難しいから、というよりかは疲れるからだろうか。

登場人物が抱える背景や性格、物語の複雑さ、伏線。そういった事柄が物事を進行するにつれて増加していく。それに昔ほど時間が有り余っている訳ではない。やらなければいけない事もある。

そんな中で物語にどっぷりと浸かることができなくなっているのだろう。それが原因で重いゲームができなくなっている。つまらなくなった訳でも魅力を感じなくなった訳でもないのだ。きっと。

逆に皆で軽く遊べるパーティゲームなんかは本当にやるようになった。誰でもできて、誰も傷つかず、誰でも役に立てる。そういうプレイヤーみんなが簡単に幸せになれるゲームを求めるようになった。

つまりはゲームに求めるものが変わったのだろう。映画とか小説とか、そういう要素を多く含んでいたゲームではなく、トランプとか人生ゲームとか、そういう類になったのだろう。

そういえば、重いゲームだけじゃなく、小説とか映画とか、そういう物にも興味がなくなってきた。その辺に共通する何かがあるのだろう。

まぁ、さっさと幸せになりたいって欲求が勝るようになったのだろう。昔は、過去がどうとか、人格がどうとか、正義とは何かとか、暗く深く悩むことが興味深いと思っていたのだろう。

でも、そんな事を追求した所で幸せにはなれないと悟ったのだろうか。それは馬鹿になっただけかもしれないし、性格が悪くなっただけかもしれない。

だが、時間と体力が足りないのである。他者の過去や細かい性格なんてものに深く注視していたら休暇は仕事になる。子供は働かなくて良くて、シリアスな事を考える機会が少ないから、ゲームや小説なんかでそれを求めるのかもしれない。

緩急のバランスを取りたいという事だろう。退屈な日々に遊園地に行って絶叫するようなものなのだろう。私だって、何ヶ月も仕事も何もしなくても良い状況になったら、きっと重厚なゲームに浸かるのだろう。でないと退屈だからだ。

暇過ぎて空想に重苦しさを求めるか、忙しすぎて休暇に軽いものを求めるか、どっちが良いのかは知らないけれど、まぁ、どっちでもいいのだろう。バランスさえ良ければ。