人間が有意義な人生を送ったと感じる方法

死ねば全てが終わりなのだから、個人単位で有意義な事柄なんてない。

だが、それでは生きていても面白くないので、有意義だと思える方法を考える。

まずは個人単位で収まらない何かに時間を費やす、という事だろう。

自分のやった事が誰かに影響するから、自分が死んでも世界に自分の足跡が残り続ける、という活動である。

具体的には会社を作って、誰かを雇って、技術や能力を継承する。自分がいたからこそ、この会社はあり続けるというのは自分の足跡だろう。

または、何か有用な法則や技術を作って、それが遠い未来に渡って使用され続けるということだ。技術の生みの親になれればそれは立派な足跡である。

それか、自分の子供を作る事。自分の子供を成長させ、知識と技術を与え、その子供がさらに子供を作っていく。その流れは自分が死んでも自分が延長される感覚を与えることだろう。孫まで作ってしまえば、自分の足跡が向こう100年くらいは少なくとも歩き続けるだろうと錯覚できるだろう。

会社と作る、法則を見つける、技術を作る、子供を作る。この他にも、偉大な芸術を残すという方法もあるだろう。

有意義と感じるかどうかは、自己の伝搬がどのくらい大きかったか?という事である。それが短い時間だが膨大なのか、細々としているが長い時間なのか、それは人それぞれであるが、大概が子供を作るという所を目指す。それが大勢にとって比較的容易だからである。

会社は3年続けるのも難しいと言われるし、技術の発明なんてもっと難しいだろうし、法則の発見なんてそれ以上だろうか。芸術も同様だろう。

そんな訳だから、自分の才能を見限った人間は結婚相手を探すか、社会で成功する事を諦めて個人の楽しみを追求するのである。

人間は自己を拡大したいという願望が潜在的にあるのだろう。だから、他人と関わらない、他人の役に立たない、他人の上に立てない、という状態が続くと鬱になりやすい。

有意義だと感じたいのならば、特別な才能がない限り、他人と何らか方法と触れ合うしかないのである。その為の接着面積を増やす為の行為が、勉強や技術の習得、コミュニケーション能力の向上である。

価値を持ち、他者と繋がり、自己を拡大する。その一連の流れができて、人は有意義だと思うことがようやくできるのである。

至極面倒な生き物が人間である。