正義は変わる。生き残ること、より良く生きることが正義である。

勝ち残る事に意味がある。それ以外の正しさは仮に正しくても淘汰され、生き残った者に否定され、いずれ正義を失うだろう。

綺麗であることも強くあることも、勝って生き残らなければ正しくない。死人は口出しができないからだ。

なるほど、確かに生き残らなければ正しさは主張できない。それは分かった。だが、自分が思う正しさを否定してまで生き残ることに正しさを感じられるのか?という問題は残る。

生か正義か。生き残る為に正義を捨てて、生き残った理由となった何かを正義とするそのやり方は、強い何かに縋って生きているだけなのである。

結論として生き残った者だけが正義に成り得るのだから、狡猾だろうが卑怯だろうが勝ち残れば「合理的な人、もしくは、勝利の為に泥臭く努力する真に美しい人」と主張するだろうし、評価されるだろう。

人は誰だって死ぬのが怖いから、生きられる確率を高める人間に媚びる。勝ち残った生物を無理やり素晴らしい者だと思い込む、という方法で媚びる。それは無意識的な媚びである。

最終的には生きている人間は正義に縋るのである。だから、より良く生きたい、生き延びたい、と思うのならば今現在の正義は簡単に捻じ曲がるものだと諦めて柔軟に生きた方が良いだろう。

絶対的な正義を守り続ける、という性質も見方を変えれば「頑固で横着で偏屈」という表現だってできる。

先見性と柔軟さと粘り強さのバランスが大事なのである。まぁ、それもいつの日か変化するのかもしれないが。