人間がいなくても地球がどうこうなる訳ではないし、宇宙全体で見てもどうでもいいことなのだが、人間が生きている限りは人間に生きる理由があった方が生活にハリが出る。
なんの目的もなく漫然と生きているのは楽しいのだが、飽きるし退屈であるから、上手に遊べる人間じゃないと鬱になってしまう。遊びにも才能が必要なのである。
自発的に喜びを見出し続ける事ができないのならば、何でもいいから多少難しい人生の目的を作成してしまって、それを達成する為に日々を頑張っていた方が幸せなのだろう。
要は人生の目的が欲しいと思っている人間は指示待ち人間の傾向が強いという話だ。自発的に動く人間はそんな物を求めたりはしない。
つっても、基本的に人間は指示待ちタイプであるから仕方がない。皆が皆、自発的に動くタイプだったら組織がまとまらないのだから、バランス的には指示待ちが増えるのは自然な事だ。
だからこそ、壮大な指示を欲するのである。それこそが人生の目的である。
人生の目的はあくまでも退屈凌ぎ、暇つぶし、楽しい遊びなのだと言う認識は大事だ。
例えば億万長者になりたい、という目的はよく聞くけれど、その為に全財産叩いて失敗して不幸になるんじゃ馬鹿げている。億万長者になる、という目的のゲームで人生を壊してしまっては元も子もない。ゲームの目的はゲームクリアではなく楽しむことである。
だから、ゲームがつまらないのなら、別のゲームに切り替えるのはおかしい事ではない。
まぁ、問題なのは、現実においてある楽しいゲームってのは、凡人には見つけるのが難しくてゲームシステム事態も中々難しいという所にあるのだろう。だから、任天堂スイッチのような本当のゲームが流行る。目的が与えられて、順序よく敵が強くなり、順序よく技術が習得できる。失敗すれば簡単になり、続けていればいずれはゲームクリアができる。そういうものが喜ばれるのは当然だ。
じゃあ、どうすれば良いのか?私も知らない。
その人ができる最善を尽くすしかないし、それでダメなら諦めましょう、という話である。