私以外の人間も実は不幸なんじゃないかと期待してしまう

どんな素晴らしい音楽でも飽きる。いつかは飽きる。
信じられないけれど、今聞いている曲は1年前に聞いている曲と違うから、まぁそうなんだろう。

人間でもそうだろうなと思う。どんな仲の良い人間だって、何十年間も付き合っている人は本当にレアである。

親友と呼ぶような人間と付き合い続けることができる人間ってのは、それなりに珍しいし幸運である。大概は、親友ができないし、できても何かの転機を境に関係を切ってしまったり切られてしまったりする。

始めるのは難しいし、続けるのは難しいし、飽きられないような努力も難しい。そして繋がり続けているからと言って、それが全て素晴らしい関係だとも言える訳ではない。文字通りの腐れ縁だってある。

良い繋がりを繋げ続けるのは大変な事なのである。それが分かっているから、そういう繋がりを作ろうとするのは心的なエネルギーが消費するのが億劫になってしまう。

親友というのは、多くの場合は少年少女の時代にできるものだろう。それは打算とか謀略とかが脳内に存在しない時期であり、人と繋がる為のエネルギーが大量にあるからだろう。

大人は金の事を日頃から考えているし、エネルギーは子供の頃に比べて少ない。だから難しい。

そんな中で、素晴らしい繋がりを持っていない人間は、素晴らしい作品を消費しながら死んでいくより他はない。動画配信サイトが大盛りあがりを見せている今は、繋がりを持っていない人からすれば幸運な事だろう。

人にはどう頑張っても手に入らないものがあるから、諦めてそれなりの何かで満足するしかないのだろう。

どういう話がしたいのか分からないけれど、素晴らしい物を知っていても、それが手に入るとは限らないし、手に入っても持続するかも分からないし、悪くなる場合だってあるって話だ。

至極面倒な事ばかりなのである。幸運と大量の努力とそこそこの才能が必要なのである。

この世の人間の大半は実は不幸なんじゃないかと私は勘ぐってしまうのだけれど、それは私の僻みだろうか。そうであって欲しいという期待だろうか。