世間体と猿山。気苦労からの脱出方法。

なぜこんなに世間体が怖いのだろうか?
怖い、というよりかは過剰に気にしてしまう感じだろうか。

何であれ、世間体について強い意識と面倒を感じているのである。何故かは知らないけれど。

人間が社会的動物であるから、それは本能的なものなのだろう。生きる為とは言え、本当に面倒である。

皆がやっている事は私もやらなければいけない気がする。
皆ができる事は私もできなければいけない気がする。
皆がやった事を私がしていないのは悪い気がする。

本当にそれがしたいのか?と問われれば、実際の所そうではないかもしれないが、それをしている人々が良い事であるかのような錯覚をしてしまう。

持っていないよりかは持っている方が良い気がしてしまう。
だから、他人が持っていて、自分が持っていないと妬ましく思ってしまう。

実際手に入れたら全然好ましくない存在かもしれないのに、それを欲しがってしまう。

そういう世間が嫌いだし、そういう自分が嫌いである。

いっその事、世間から離れて暮らせればいいのに、と思ってしまうのだが、それはそれで孤独だろうか。

一番理想的なのは、世間の頂点に立つことなのだろう。

自分が好き勝手に振る舞って、それを皆が真似したがる、欲しがるという状況。結局は猿山の頂点になれないから苦しいという非常に動物的な感情により苦しんでいるのである。

世間とは猿山なのだろう。猿山で一番幸せなのはその山のテッペンにいる猿である。上に行くにつれ幸福であり、下に行くにつれ不幸だ。

だから、世間体が嫌だと言うならば、山から離れるか、山の頂上を目指すしかない。それ以外はない。

人間も残念ながら動物であり、その気苦労からは離れられないようである。