後悔ってのは、過去の自分への乱暴な言葉の暴力であるから悪い。

過去は吹き飛んでいる。
今までの人生を振り返る時にそう思う。

振り返って吹き飛んでいることに気が付くと、一体全体過去の私は何をしていたのだろうか?怠けていてフザケていたに違いないと考えてしまう。

実際問題、現時点の私が達成しているべき事柄は何一つ達成していないか、惨憺たる進捗状況だからである。

それに、今迄の膨大な時間を考慮するならば、それは結構簡単に達成可能な目標だったりする。だったらなんでやっていないのか?それは時間が吹き飛んでいるからだ、と現在の私は思う。

まぁ、実際問題、過去は吹き飛んでいない。私はサボりにサボって時間を無駄にしてしまったが故の現実である。その怠惰を私は都合良く忘れているが故に過去が吹き飛んでいるように錯覚されてしまうのである。

それは後悔するしかない過去である。だって、今の私にとっては何の役にも立たない事柄だからである。
過去の自分にとってはきっと有益だったのだろう。
きっと「自分へのご褒美」とか「疲れているのだから休息は大事」とか「やりたくない事を無理にやっても仕方がない!」とか、そういう言い訳をしてやり過ごしてきたのだろう。

だが、今現在の自分に対する優しさというのは、場合によっては未来の私に対しての厳しさにも繋がるのである。

この辺はケースバイケースではあるし、結果論でもあるのだろう。休まなかったが故に、重大な事故や病気に掛かってしまう場合だってあるのだから、何とも言えない訳である。

だが、それでも今現在の不満を観察してしまうと、過去の自分を叱咤激励してしまいたくなる。今更無駄なのに。

つっても、まぁ、それも無駄なのである。過去の自分を批判することは当然無駄だし、「過去にもっと頑張っておけば良かった」と思うことも無駄なのである。

それは気持ちの問題ではどうにも頑張れなかったから、頑張らなかったのである。

体力も意思もその時の自分には不足していたから、頑張らなかったのである。

100しかエネルギーがなかったから1000必要な行動はできなかっただけの話である。

それに対して、1000のエネルギーがない私は何をやっているんだ!ふざけているのか!と憤るのは馬鹿である。

だって、なかった物なかったのだから、もうそれだけの話である。

要は、今現在の私が私に対して「空を自在に飛べる能力が即座に身に着け!」って言っているのと同じくらい馬鹿な要求を過去の自分にしている訳だ。

ないもんはないし、無理なもんは無理だよ。それは現在でも過去でも未来でも同じだ。

なのに、時間という距離ができて、過去という別次元の他人みたいな自分を相手にしてしまうと、無茶を言えてしまうのである。

人間ってのは、自分から距離が遠ければ遠いほどに勝手な事が言えてしまう生き物なのだろう。

って訳なのだから、後悔ってのは実際の所、他者を乱暴に批判しているだけの言葉の暴力なのである。

だから、後悔は良くない。向上心の表れなんかでは決してない。