人は飽きる生き物だが、それでも満足できないなら進化し続けるしかないのだろう

人が進化し続けるのは現状に満足できないからだ。言ってしまえば、人が幸せで居続けることは難しい。

欲しい物が手に入っても、数週間もすれば飽きる。
恋人と結ばれても、1年もすれば飽きる。
念願の子供が生まれても、理想とは違い落胆する。

イメージと現実はかなりの違いがあるらしく、人はその差を埋めることができない。
だから、欲しい物が手に入っても、それは理想ではないので、また欲しいものができる。

その繰り返しで、まぁ多少は理想に近づいてはいるのだろう。
飢餓に喘いでいた人々の理想を今現在の日本人は叶えているのだから、昔に比べればマシなのは確かだ。

だが、それでも人間は贅沢な生き物であり、こんな素晴らしい理想でもまた足りないと言う。
まぁ、実際問題、足りないのだろう。

自殺する人間もいるし路上生活をする人間もいるし体に難を抱えて生きている人間もいる。
五体満足で食生活が充足していたって、心を病んでしまって命を落とす人間が多くいるのだ。


こう、「人生は死ぬまでの暇潰し」という格言が結構有名になっているけれど、どうなんだろうか?
聞けばカッコいいフレーズなのは分かる。欲望にとらわれていないで、人生を楽しんでいる様が思い浮かび、憧れる。

だが、やはり足りないものは足りないのである。足りないと思う心は確かに存在するし、「人生は死ぬまでの暇潰し」というフレーズでは満足できない心が存在するのも確かだ。

だったら、その不満を満たす為の努力をしていくことが正しいんじゃないだろうか?
自分一人では完成まで漕ぎ着けることができなくても、誰かに経過を託して成果にする事が大事なんじゃないだろうか?

つまりは、充足している現代だけど、やはり今は発展途上なんだと自覚し、科学的な物か何かを進化させる為に努力するのが正しい姿勢ではないだろうか?

まぁ、結局は心で問題そのものをなかった事にするのか、科学で問題を解決するのかって話である。
心は柔軟だが、どんな動きでもできる訳でもない。
心に無限のエネルギーがある訳でもない。

とある天才の心の強さから発される「人生は死ぬまでの暇潰し」というフレーズに憧れて真似をするのは、フィジカルエリートがパルクールをする姿に憧れて真似をするようなものだ。

真似は達成されずに怪我をして死ぬ。それがオチである。

ならば、少しでも理想に近づく為の別の努力をするのもまた一興だと思うのだが。

でも結局それも暇潰しなのだろう。