人が人を好きになる理由は自己都合なのだが、それを愛とかで飾り付けようとする理由はなんだ

人が人を好きになる理由は様々だが、その根底には「自分にとって都合が良い」という利得がある。

愛とか情とかを語った所で、その根底には自分にとっての利得が絶対にある。
別に愛とか情を否定するつもりは一切ない。むしろ高尚なものだと確かに思う。

だが、「何を利とし、何を害とするのか」の基準が個々人によって違うだけであり、皆、ちゃんと利に向かって思考を巡らせた上で人を好きになっている。

そうなると、自分があの人を好んでいる理由を深く考えることは、「自分にとっての都合の良さ」を知ることのキッカケになる。

何故それが欲しいのか?愚痴を聞いてもらえるから、自信を持たせてくれるから、寂しさを紛らわせてくれるから、金銭的利益があるから、権力の威光を味方に付けられるから。

まぁ、そんな社会の汚い欲に塗れた理由ばかりではないだろうが、それでも何らか理由があって人は人と関わる。

「好き」という感情は、そのままなら曖昧で綺麗なものであり「美しい愛」とか何とか言ってしまえるくらいに陶酔できる人もいる。

だがそれは残念ながら、自己の欲求に根ざしたものであり、おとぎ話に出てくるような人智を超越したような精神ではないのだ。

なのに、人は人に対する「好き」の感情を何故か綺麗に脚色してしまうのだ。飾り付けてしまうのだ。

人は自分本位な動物なのだが、不思議でその本質を直視したくないようである。