去り際を綺麗に見せたいと思う気持ちは、相互監視社会が生み出す悪い噂の恐ろしさによるものだろう

去り際を綺麗に見せたいと思う気持ちは不思議なものである。
もう会う確率が低い相手ならば大して大事にしなくても良さそうなものだが、逆に最後くらいはカッコつけてやろう、みたいな心理が発生する人は少なくないのではないだろうか?

むしろ動物的な損得で考えるのならば、二度と合わない相手にこそ、残虐極まりない行為で利益をぶんどって逃げおおせてしまえば良かろうに。

だが、人間はそれをしない。それは、人間社会的にあんまり得にならない行為だからだろうか?

そうかもしれない。1対1だけのグループなんてものはそうそうない。現代のグループなんてのは複数人が関わっているのが常であろう。それが問題なのだと思う。

つまりは、最後だろうが悪い噂が立つのは危険なのだ。この現代において、この情報社会において、人の噂は適当なものだし、悪意が混じればそれは過激さを増す。そんな中で、最後だからと乱暴狼藉を働き逃げおおせてしまえば、仕返しとばかりに悪い噂がグループ内に蔓延する。

もう関わらないだろうと思うけれど、世間というのは案外狭いから、どこかでその噂が自分の背中を刺す日が来るのだろう。
そういう事を直感しているからこそ、最後は良い印象を残すように務めるのではないだろうか?

そして、悪い評価は誰でも恐れるから、皆が皆を監視し合うことにより、その良い人ごっこは過激になる。ドラマみたいなセリフも吐ける。自分の心までも騙して相手を褒めそやす。終わってみれば吐き気をもよおす言葉がスラスラと出てくる。

そんな感じではないだろうか?