才能がなくとも創作活動をしてしまう理由

自分自身の手で作り出したいという願望は不思議な事にある。
この世には素晴らしい才能を持った人々が素晴らしいアレコレを完成させているのだが、それでは飽き足らないようだ。

自分自身の大したことのない才能で何かを作り出すのは非常に労力の掛かる行為であり、さらには出来も良くない。
素晴らしい才能をお持ちの方々が作成される何かを購入するのならば数千円で事足りる。

にも関わらず、自分自身で作成しようと思う自分がいる。不思議なことである。

普通に考えれば、自分にでも簡単にできる労働で得られた金銭で天才の作品を購入した方が効率は良いのである。

なのにそうしないってことは、作品そのものが欲しい訳じゃないって話なのだろう。自分が素晴らしい作品を作り上げたという満足感みたいな物が欲しいし、「素晴らしい作品を作った私」みたいな情報を周囲に撒き散らしたいのであろう。

素晴らしい物に触れたい願望はあるだろうが、それ以上に素晴らしい存在だと認知されたいという動物的な本能が隠れているのだろう。

素晴らしい芸術家になりたいという願望も、実のところ、実に動物らしい欲求から来ているのかもしれない。まぁ人間は動物なのだから当たり前だろうが。

そして何より退屈なのである。誰かが作る素晴らしい何かに触れているだけでは。

自分自身が作成するという労力を掛けるのは苦痛な場面もあるが、それでも退屈は紛れるのである。
退屈の苦痛は、多少の苦痛よりかは遥かに甚大なものである。

そんな訳で、才能がない人も才能がある人も創作活動に勤しむから、今日も駄作や傑作が世の中に入り乱れているのである。