認識した対象については、良くなるように努力する性質が人間にはあるように思う。

認識した対象については、良くなるように努力する性質が人間にはあるように思う。
自分の外見を鏡で認識し始めて、自分の外見の醜悪な部分を発見してから、改善の努力を開始したように自分自身で思う。

良い結果に繋がる要素については、数値的でも視覚的でも何でもいいから、認識して観察すると良いのだろう。営業とかでも、成約数ではなく訪問数をカウントして、訪問数を多くした人間が結果として成約を伸ばしたという話も、まぁ本当なのだろう。

行動が結果を産むとは限らないけれど、行動しか結果を産まないのだろう。成功確率がある程度決まっているのならば、挑戦回数を増やせば成功数も増えるという単純な話である。

「そういう単純な話ではダメである、人間の知恵で成功確率を上昇させる方法についても考えるべきだ」という意見についてはもっともである。だが、現実の情報が足りずに、空想でその現実を補完し、歪んだ情報でより良い方法を考案しても、それはズレた行動を引き起こし失敗する。

ならば、愚直にまずは行動を繰り返し、現実の情報を蓄積するフェーズはやはり必要なのではないだろうか。

まずは足で稼ぎ、それを頭で整理する。その繰り返しで物事は洗練させていくのだろう。

ということ、観察するポイントは成功確率が1%でもあり得る行動の実践回数である。