くだらない物事を受け入れる事ができると幸せになれる理由

くだらない物事を受け入れる事ができると幸せになれる。
というか、くだらない物事を受け入れられないと、幸せになれない。

何故ならば、俗に言う高尚な事でないと幸福感を得られないと自分で制約を課しているからである。

高尚な事、換言すれば知的レベルの高い事、達成するのが難しい事である。

そのような物事は、当然だが、実践するのに大きなコストを必要とするし、実践するまでの基礎体力作りも必要になってくる。一朝一夕で高尚な事はできないのである。

一方、くだらない事は即座にできる、準備もいらなければコストもいらない。それで幸せになれるのならば、効率はすごく良いのである。

だが、くだらない事を嘲笑の的にして、自分はそういう事で幸せになろうとしない人もいる。

プライドの人なんかがそうだろうし、ちゃんと大人になろうとしている真面目な人もそうだ。

「もう子供じゃないんだから、そんな幼稚な番組で笑うなんて下らない」

「私は、レベルの高い人間だから、そんな馬鹿みたいな事で楽しくなったりしない」

そういう意識が幸せを得る機会を損失させているのである。

まぁ、本当にプライドに見合うだけの実力があり、高尚な事を連発できるようならば問題はない。

だが、心の中に描く理想を体現できている人間なんて、ほんの一握りである。多くの人は、その落差によって無駄に不幸になっているのだ。

という訳で、自分はくだらない人間なんだと受け入れて、くだらない事で笑って幸せになっていれば良いと思うよ。