心の傷も体の傷として扱った方が良いのかもしれない。
精神的に傷ついた、というと、何か論理的な道筋があって、然るべき理由があるから傷つくのだ、と思ってしまいがちだが、実際問題、そんなことはないのかもしれない。
単純に傷つくような言葉や傷つくようなイベントがあったから、傷ついたという単純な視点で考えた方が楽なんじゃないだろうか。
要するに、ムカつく事を言われたから傷ついた、欲しい物が手に入らなかったから傷ついた、自分より上の人間がいるから傷ついた、くらいで終わらせておけばいいのである。
それをムカつく事を言われた私の中では、ああいう言動の背景に隠されているイメージにコンプレックスを抱いているからだ。そのコンプレックスの原因は幼少の頃のアレコレな事柄があって、そのコンプレックスを今からでも解消することができれば、ムカつく事を言われてもムカつく事はなくなるんじゃないだろうか?
みたいな風に考えてしまうのが不味いのではないから?
それって、言ってしまえば、傷口を掘り返している行為なんじゃないか?治しているつまりが余計に傷口を広げているんじゃないか?
だったら、放っておいて、傷が治るのを待った方が良いのではないだろうか?
精神的な傷でも、数日、もしくは数週間経過してしまえば、「なんでこんな事で傷ついていたんだろう?」と本気で思える程に回復したりする。
心だって脳だって肉体であるし、学習もするので、同じような不快な事象があっても、前より早く回復するようになるのだ。
単純に筋トレみたいな気分で考えてしまった方が精神的に楽ではないだろうか。
ただ、精神的な傷ってのはいきなり小学生にダンベル50キロを持たせて、酷い筋肉痛にさせるようなダメージが不意に襲ってきたりするので、原因を模索してしまうんじゃなかろうか?
それは傷だが、筋肉痛みたいなものだ。時間が解決してくれる。