次のステージに進むという事が必ずしも明るい話ではないということ

次のステージでゲームオーバーになる確率は絶対にあるし、次のステージの方が難易度が高い可能性は当たり前に考えられる。

ゲームで例えれば非常に単純だ。
だが、現実で考えると何故か人は間違ってしまう。

学生が社会人になることを仮に次のステージとする。
その場合、学生は社会人になることに対して「カッコ良くて充実した生活が待っている」と考える人が一定数いる。

だが、そもそも社会人になるのも大変だし、社会人は大変だし、それは学生よりも大変だ。

それなのに、次のステージに行きたがる人は多い。

結婚だって、言いようによっちゃ、次のステージであり、憧れる人は多いし、できない人は苦しんだりする。

だが、妊娠出産は大変だし、子育ては大変だし、子供の成長は忙しいし、子供だって大変だ。

場数を踏めば失敗するケースことだってある。それも次のステージに行くにつれて、門は狭くなるのだ。

それができて当然と考えるのは傲慢であるし、それが余計に心と体の自由を奪う。

飛べない棒高跳びの高さがあるように、行けないステージだって、クリアできないステージだってあるのだ。

今自分が行っている生活だって、それなりの苦労と努力を捧げたはずだろうし、その生活に辿り着けない人だってたくさんいる。

だから、そこまで怒ることも悲しむことも必要ないんじゃないだろうか。

ただ単に、無理だっただけなのだ。そこの到達できなかっただけなのだ。仮に次のステージに行けたとしても、楽しいとは限らない。

仕方がないことは仕方がない。マイナス感情を無駄使いするのはマイナスだ。