自分の働きなど1000年後には何も残らないから、結局は自己満足である

疲れている時に無理に頑張るよりも、さっさと眠ってしまった方が良いのだろうか。

きっと良いのだろう。眠い時の学習効率なんてたかが知れていると聞いたこともある。
つっても、眠るまでの時間がまた大変なのである。寝付きが悪い。眠い癖に眠ろうとすると眠れない。時間を無駄にする。
眠れないからダラダラとベッドでスマホを見る、実りのない時間。

そんな無駄な時間を過ごすくらいならば、無理やりにでも頑張った方がいいんじゃないかと思って勉強などをするが、眠くて仕方がない。

ふざけるな。と言いたい。自分の体に。

もう少し融通が利かないものだろうか、自分の肉体というものは。

人の体は日光を浴びると活力を得るようにできているようだが、そんなスイッチでしか起動しないってのはそもそも間違っているんじゃないだろうか。

本人が必要だと思った時にスイッチが入れよって感じである。

洗濯機が動く条件が、日光に1時間照らされることだったら不便で仕方ないと思わないだろうか。
日が出ている時間しか洗濯できないのか、とか。
洗濯機をわざわざ外まで運ばなきゃいけないのか、とか。

そういう面倒な色々を人間の体はスイッチとしている。

不便だ。不便である。

そういう面倒な起動条件を満たさないと人間の脳みそは高度な情報処理をしてくれない訳である。
そらパソコンに負ける分野が増える訳だ。
まぁ、それでいいのだが。

将来は人間が面倒な思いをしてようやく完成させる素晴らしい物事をパソコンが一瞬で作り上げてくれることを期待する。

そんな期待を胸に秘めて、今日はダラダラしてはいけないだろうか。

だめだろうな、だめなんだろうか。勝手に自分が自分にダメで決めつけているだけなのだが。

私の働きなど、1000年後には何も残らないのだから、自己満足なのである。
仮に私の働きが1000年後に残ったとしても、だから何だって話なのである。

だから結局、自分が納得行くかどうかって話だ。