やるべきことの定義だけは正確にしておくべき

「やるべきこと」とは何だろうか?

その辺の定義を拗らせているから、自分の心が辛くなっている気がする。

やるべきことは、「やりたい事」もしくは「やらないと余計に辛くなること」が前提になくてはならないと思う。

「別にやらなくても実際に自分が困ったりしないけれど、世間からやるべきだと言われているからやっている事」

というような、やるべきことに埋め尽くされていると得る物はなく失う物は多い。

人間は不思議なもので、自分には何の得がなくても社会的義務感に押し潰されて行動を強制されてしまうことがある。

別に契約をしていないのに、別に利益がある訳でもないのに、他者に責任を求められないのに。なのに、他者の都合で押し付けられた「やるべきこと」に盲目的に従ってしまう。

その発想が間違っているから苦しいのである。

だからこそ、やるべきことの定義は正確にしておくべきだし、再整理すべきである。

美味しいものが食べたいから金銭を儲ける必要があり、その為に勉強をやるべき。
それならば分かる。

だが、世間や家族や「他者を支配するのが好きな人」に言われるがままに、
本当はボランティアでも何でもない支援活動や、高額な自己投資商品の購入や、年齢と世間体だけを考えた結婚なんかをしてしまうのは間違っている。
それは自分が苦しむだけだ。

「やるべきこと」という言葉の裏に、正しい事という印象を持ってしまう人はきっと多い。

だが、誰にとって正しいのか、はたまた本当に正しいのか、実は間違っているんじゃないか、という意識は常に持ち続けるべきだ。
この「べき」は自分自身の為のやるべきことである。

支配欲や制限欲が強いだけなのに、それを社会的に正しい事という大義名分で誤魔化して我欲を満たそうとする人はいる。

そういう人間の喰い物にされないように、やるべきことの定義だけは正確にしておくべきである。