勝利は正義より正しい

罰されない悪は悪か?

不正は悪い。悪いだろう。それは分かる。
だが不正が勝ったならば、どうなんだろう。それが分からない。

勝った方が正義だと叫んだ偉人がいるとかいないとか。

それが本当かは知らないけれど、正義を主張できるのは勝った方なのは確かだ。

不正で勝った人間が「不正を隠し通してしまう」ケース事態は想像ができる。
その時、不正を悪だと言うことはできるが、不正に罰はない。

じゃあ、悪って何だ。罰されないで終わる悪を許すということなのか。

なんて考え始めると鬱々しい気分になってしまうので、この辺で打ち切る。

正義より大切なもの

個人が自在なのは罰を定義することだけだ。
罰を与えるには、組織と暴力を規律を用意する必要がある。簡単なことではない。

少なくとも勝たなければ正義を執行できない。

まず勝つこと。それを当たり前に大人は目指している。

だから、勝っている方は「不正はない」と主張するし、負けている方は「不正がある」と憤る。

実際に不正があったかどうかは知らないけれど、勝つ為に正義を利用するのである。

そうなってくると、正義よりも勝利の方が優先度が高いってことだよな。

勝利は正義よりも正しい。

勝利の為に悪を暴き、勝利の為に正義を貫き、勝利の為に不正を隠し、勝利の為に悪を利用する。

表面上、声高に価値が強調される代物ってのは、実際の所、言うほどに価値がないのかもしれない。